ねじれ国会の中で「改正生活再建支援法」が福田内閣代一号の法案成立!

改正された被災者生活再建支援法の意義と内容について説明する赤羽氏(右から2人目)ら=11月11日 新潟・柏崎市

阪神大震災の『魂の声』受け 12年間の宿題を果たす

11月9日、改正被災者生活再建支援法が成立した。阪神・淡路大震災の被災者の声を受けての法制定から10年余。ようやく住宅の建設や購入に支援金が使えるようになった。

それは、公明党の赤羽一嘉衆院議員の十数年に及ぶ主張の実現だった。赤羽氏の闘いを実績物語として紹介する。

 人々は、瓦礫の中から立ち上がった――。

 1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災発生。赤羽は、神戸市内のマンションで被災した。夜、紅蓮の炎が町を焼いた。その後の数日間、赤羽は我を忘れて愛する町を走り回った。

 死者6434人。親や子を失い、兄弟や友を失い、そして家を失った人々は、それでも自らと家族が生きるため、渾身の力を振り絞って瓦礫の中から立ち上がった。その必死で、健気な人々の姿は、赤羽の脳裏に鮮明に焼き付けられていた。

 数日後、着の身着のままで上京した赤羽は、国会で質問に立った。首相や閣僚の人ごとのような答弁に、赤羽は叫んだ。「天災じゃない! 人災だ! 間違いなく人災だ!」。赤羽の握り拳が小刻みに震えていた。1年半前に初当選したばかりの“一年生”議員だった。

 曾有の大震災は、それまでの法律が全く役に立たないことを知らしめた。赤羽は、先輩議員とともに、被災者救済策の立案・拡充に挑んだ。

 98年、被災者生活再建支援法が成立。2004年に改正され、生活関係経費(最高100万円)、居住関係経費(最高200万円)が支給されるようになった。だが、使途の制限や手続きの煩雑さから、居住関係費の平均支給額は28%にとどまり、極めて使い勝手が悪い制度にとどまっていた。

 この間、赤羽は、衆院災害対策特別委員長、同国土交通委員長、党災害対策局長などを歴任。相次ぐ各地での大地震や、台風被害などの現場に足を運び、救援活動に加わる度に、同法改正の必要性を痛感していった。

 赤羽は誓った。「避難所に行けば老いも若きもない。きのうまで金持ちと思われた人も家をなくし職も失っている。年齢や年収の要件は撤廃し、もっと使い勝手の良い制度にしなくてはならない」 今年11月9日、劇的に改革された改正被災者生活再建支援法が成立した。「法律が1本も成立しない」といわれた“ねじれ国会”で、最初に成立した法律だった。民主党との交渉役には、赤羽が当たった。

 結果、公明党の主張は、すべて盛り込まれた。神戸市内で実際に被災した国会議員の中で、この12年間、一貫して災害支援拡充に努めてきたのは赤羽だけだった。あの時の“一年生”議員は災害対策の論客となり、与野党ともに一目置く存在となっていた。

 今回の法改正の最大ポイントは、支援金の支給方法を、使途が制限されずに自由に使える「定額渡し切り方式」に変えたこと。支給対象世帯も年齢や年収による制限がない。阪神大震災には適用されなかったものの、その被災者たちが願っていた制度へと生まれ変わったのだ。

 赤羽は語る。「あの阪神大震災の被災者の『魂からの声』が実現できた。12年間の宿題を少し果たした思いだ」と。